« 痛いとき、どうしていますか? | トップページ | 身体障害者手帳をいただこうと思った理由 »

2006年7月18日 (火)

一病息災

「この脚さえ治ったら‥」と思うこと、ありますよね。最近、私は、周囲の人たちが「皆何かしら、その人なりの問題を抱えているのだなぁ。」という感慨に浸ってしまうことがあります。JRの混んだ電車の中で、「何も悩み事の無い人なんて、きっとこの中に1人もいないだろうな。」と思ったりします。子供のことだったり、経済的なことだったり、仕事のことだったり。だから、私も脚が治れば、すぐ次なることを見つけて、「××さえ(人間関係とか)良くなったら」と思うのだろうという気がします。

私は血圧が高いのですが、脚が悪くなる前はビデオの早回しのような目のまわりそうな生活をしていました。それが脚を悪くしてから、洗濯物をたたんでしまうようなことも前の何倍かの時間がかかるようになりました。玄関チャイムがなっても飛んでいけません。ゆっくりと玄関に足を運びます。このテンポを落とした生活というのは、私の身体にとても良いのかもしれないと思うことがあります。脚のために始めた半身浴だって、他のコワい病気からの予防になってるようにも思います。

「歩けなくなったらどうしよう。」とか、「これ以上悪化したらどうしよう。」という不安の方が現実の脚の痛みより大きい問題かもしれませんよね。人は<考えたようになる>ものらしいから<悪くなるのじゃないか>と思い続けていたら悪くなる可能性高いかもしれません。私自身は「変形したものは治らないかもしれないけれど、この悪い状態の脚の機能だけを改善することは可能じゃないか。」と思っています。

どういうことかというと、例えば中年過ぎて誰かがスケートを習い始めたとして、イナバウアーまで出来るかというと難しい。それよりは、私が状態の悪い股関節でも<フツウに近い状態で歩ける>ようになる方がまだ可能性が高そうな気がするわけなのです。サーカスなども人間業とは思えないですよね。「出来る」と信じて訓練するから出来るのでしょうね。脳の左右の半分が麻痺した時に反対の脳が本来の働きを超えて代わりをするということも読んだことがあります。人間の身体って、そんなにも奇跡のようなこともできるような細やかに造られているのですね。そいういうパワーを引き出せたらと思います。

|

« 痛いとき、どうしていますか? | トップページ | 身体障害者手帳をいただこうと思った理由 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 一病息災:

« 痛いとき、どうしていますか? | トップページ | 身体障害者手帳をいただこうと思った理由 »