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2017年7月17日 (月)

シベリア抑留から生還された(友人の)お父様のこと

仙台から戻りました。泊めていただいたお友達は浦和に長くお住まいで、その頃知り合ったのですが、もともと仙台出身で地元に帰られて年賀状の交換だけになっていました。今年の年賀状に私が書いた近況がきっかけで電話を頂戴して「泊まりにきて。」と言われたときには、仙台で会うことがあるにしても<郊外の温泉にでも泊まってどこかで久しぶりに会おう>と思ったのですが、考えてみたら「泊まりにおいで」と言ってくださるって今の時代稀有なこと「せっかくそう言ってくださるなら行こう。」と思ったのでした。

ここのところ、股関節症で知り合った方達とお会いする機会が多かったのですが、今回泊まりに行ってみて自然体で迎えてくれた彼女を見ていると「股関節症気質とはいうけれど、やっぱり私たちって完璧症」と思ったりしました。ブログを書いていることは話していないので、「ブログに書かせてもらうわね。」という許可も得ていないので、書きたいことに制約があります。

そのつもりで出かけたわけではなかったのですが、泊まった日に<マンションで一人暮らしをなさっている90歳のお父様>のお話を聞いて、お父様が作った冊子を見せていただいたりして、その中の一冊が「シベリア抑留体験記」でその中にビデオの撮影が趣味で、平成5年にシベリアに遺骨収集にでかけたときの映像を厚生省の依頼で編集して短編映画を作ったことが書かれていました。「それを見てみたい。」と言ったら「そうなの?見たいと言ったら喜んで見せると思うわよ。」ということで、翌日は彼女のお父様を訪ねることになりました。

尺八がご趣味で、千鳥が淵の慰霊祭では毎年尺八を吹いて来られたのだとか。でも高齢になって肺活量が減ると尺八を吹くのは難しくなって、今は二胡を趣味となさっているのだそう。<83歳で二胡を習い始めた>とお聞きしてびっくり。その年齢で新しいことを習おうという思いが素晴らしい。「二胡を聞かせてください。」と所望したら、<荒城の月、夕焼けこやけ>あと一曲はふるさとだったかしら、三曲、暗譜で弾いて聞かせてくださいました。友達が私がフルートを吹くことを話したら、帰り際に「今度は二胡とフルートで合奏しましょう。」と言ってくださったのにもびっくり。

シベリアでの極寒の中での強制労働で大勢の方が命を落とされて、お父様は帰国して暮らしながらも「いつか必ず迎えに行きたい」と思われていて、現地で遺骨収集、草原で荼毘に付してお骨を日本に持ち帰り千鳥が淵の霊園におさめるまでが、当時の強制労働を思い出して戦友が書いた絵とともに映像にまとめられていました。舞鶴に帰ってこられたのだそうで、当時、港に息子が帰ってくるのではと船を待っている母親たちの白黒の映像を見ながら、「岸壁の母」という歌があったことを思い出しました。そのお父様が生きて帰って来られたので、今その娘である友人と知り合ってこうして仙台の家に泊まりに行ったりしているわけですが、お父様がシベリアで亡くなられたら彼女はこの世に存在していなかったわけですものね。

<シベリア抑留体験記>始め何冊か冊子を作られていて、伺った時にも愛犬について書いてあるA4二枚の文章を渡してくださって「最近、文章だけじゃなくて画像が取り込めるようになったのが嬉しくて。」とのこと。パソコンでの文字入力は(ブラインドタッチではなくて)一文字づつの入力なんだそうです。なにしろ好奇心旺盛で、友達は「スーパーじいちゃん」と揶揄していたので、私は「わたしスーパーばあちゃん目指す!」と宣言しました。

涙なしでは読めないようなシベリアでの抑留体験記、 それに比べたら私たちの日々の悩みがちっぽけなものに思えてきます。股関節症ぐらいでめげている場合ではないです!!

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