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2018年7月25日 (水)

<モリー先生との火曜日>を読んで

「モリー先生との火曜日」という本を図書館から借りて読みました。筋萎縮性索硬化症という病気で体がどんどん弱って死を迎えるまで、火曜ごとに先生の元にかよってレポートをまとめた元教え子が執筆したものです。昔ビデオに録画してあった番組を DVDにダビングしている中でこの本の著者との対談番組があって読んでみようと思ったのでした。

<人生論>のようなことになると多くの人がいろいろ書かれていますが、どれも健康で元気な人がかいたものばかりです。こんなふうにさとりきって穏やかに自分の運命、最期をひきうけていくってすごいことで「どうしたらそうなれるのだろうか」と思います。日頃は避けたい気がしているテーマではあるのですが、従姉妹が逝ってしまったのがきっかけで「読んでみよう。」と思った次第。この本はモリー先生の医療費の足しになればということで出版されており、出版から20年後に書き加えた著者のあとがきに今では世界中の小学校、中学校、高校、大学の教材として読まれていると書かれていました。

印象に残ったのは、モリー先生を励ますつもりで見舞いにきたような人たちが自分の仕事のことだったり悩みを話したりして逆に元気をもらって帰るようだったということ。モリー先生はgiving is living 与えることが生きていることだと言われていたそうです。

従姉妹の弟は知人達から「お姉さんから元気をもらっていました。」と言われることが多いそうです。生き方論のようなもので「自分の葬儀に集まった親戚や友人たちになんと言われたいか?」というのが常套句みたいになっていますが「元気をもらった」と言ってもらえるのは素敵なことだなぁと思いました。彼女はいつも朗らかでメッセージカードをくださるようなときには「この夏を楽しんですごしてください。」というように<楽しむ>というのがキーワードのような人でした。

軽井沢の家に来ています。主人は一週間近くこちらにいられるのですが、私は1日遅くきて2日早く帰るので別々の車。先日亡くなった従姉妹は毎年軽井沢の鹿島の森ホテルに滞在しており、何年か前まで夏の1日を共に過ごしていました。従姉妹が滞在するのに合わせて軽井沢に私が来られなくなったこと、というより旧軽に向かう道の渋滞が激しくて会いに行くのが億劫になったようなことでもありました。でもその彼女とあんな風に軽井沢で会うことは二度とできないのだと思ったら涙が溢れてきて、泣きながら運転してきました。毎日顔を合わせている人が目の前からいなくなった訳ではないので実感が湧かず「信じられない」という思いが強かったのですが、思い出深い軽井沢に向かっているときに急に実感として胸にせまってきた感じです。

ブログはこんなふうに自分の思っていることを綴るのであるなら肩に力を入れずに書けるので、マイペースで続けていこうかと思うようになっています。 

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